風の夜話 第15話 東日本大震災 その記憶を風化させぬ「3つの言葉」
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- Опубликовано: 1 окт 2024
- あの東日本大震災から、11年。
2年を超えて続くコロナ危機との戦いも、続けなければならない。
ウクライナ危機も、その動向を注視し続けなければならない。
しかし、この震災と津波の記憶は、
どれほど年月が経っても、決して風化させるべきではない。
では、この記憶を風化させぬためには、どうすれば良いか。
いま、改めて
「3つの言葉」を、心に刻むことであろう。
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田坂先生、申し訳ありません。最近、先生のチャンネルを見ていなくて、昨日たまたま寝る前に、この動画を拝聴しました。日々の生活に忙殺されていたのと、コロナ、ウクライナ戦争にばかり最近は気を取られて、震災のことについては、被災地から離れていることもあり、私の中では正直風化していました。震災の当時も、現在のウクライナ戦争でも、本当に先生のおっしゃるような、3つの問いを真剣に問うたことはありませんでした。日本は退化するばかりだ、世界情勢もひどい・・でもそれは、国のリーダーが、政治家が、社会の仕組みが悪い、つい自分には関係ないような見方をしてしまっています。次世代により良い日本、世界を残していくために、私たち一人ひとりが、今こそ、自分の心の奥底に、真剣にこの問かけをし、覚悟を決めないといけないと感じました。誰かが良くしてくれるのを待つばかりで、本当に自分に努力と覚悟が足らないことを痛感しました。タイムリーにこの動画を見ることができてありがたく思います。先生、いつも心に響くお言葉を心より感謝しています。
田坂先生、震災の約1か月前に気仙沼へ行き、その素晴らしさにすぐにまた訪れるつもりでいました。そこにあの震災が起きました。感動した景色。TVで津波に飲み込まれていくのを見て激しくショックを受けました。現地に友人もおり、安否が分かるまで不安でたまらず。情けないことにショックで当日のきおくはあまりありませんが、今これから自分でできることを考えていこうとあらためて思います。
起こったことから学びを得ること、起こった現実から、教えや意味を作りだす(見出だす)力が大事なのであって、「何かを教えるために災害が起こった」などと考えるのは逆だと思います。
この混迷の日本を変えるために、とおっしゃいますが、
専門家の方々には日本が酷い状況?と思われているのかもしれないけれど、戦争が起こっているわけでなし、庶民の感覚からして「東日本大震災」が「混迷の日本に何かを教えるために」起こらなくてはならなかったほど、酷い日本であるとは私には思えない。
もし本当に酷い日本であったとしても、日本人に何かしらの愚かさを自覚させるために大震災が起こった、などと考えることは、あまりに被災者の方々に申し訳ない気がしてしまいます。犠牲者の方々の死を無駄にしないようにしよう、犠牲者の方々は私達に大事なことを教えてくれたのだ、と考え感謝することは大切だけれど、それと、「日本に大事なことを教えてくれるために震災が起こった。」というのは全く逆転した考え方だと思います。なぜ彼らが、()少なくとも庶民には大して感じられもしない)「日本の混迷」のために犠牲者として選ばれなければならなかったのか?
この災害から、学んだことは本当に沢山あります。
日本中の人が真に大切なことを学んだと思います。人を愛すること、一生懸命その日を生きること、命の有り難さ、命の儚さ、、本当に色んな大切なことを。
このように、起こった悲しい現実から、残された者は、より良く生きていくための意味や教訓を見出だす力と叡智をもたなければならない。
でも、、何かを教えるために災いが起こったなどという考えは、正しいとは思えません。
田坂先生
聴講させていただきました。
先生の東北大震災のご著書今は
絶版と、おっしゃっていましたが
是非読んでみたいと思いました。
本日の3つの言葉のお話は正に
誰しもがあの3.11から、その
おかれている立場の中で皆自分を
見つめ直した出来事の中でも
共通の3つの言葉でした。
今また他国の酷い惨状を毎日見て
そして今日3.11、11年目。
人は悲しいかな惨状を見てきずく。如何に自分が今、安全である
事が儚いことかと。それを今日
先生のお話を聴講させていただき
改めて肝に命じ意味、共感、鎮魂の言葉をここで今1度考えたいと
思いました。素晴らしいお話を
有難うございました。
「答えの出ない問い」を自らに問い続けることの大切さを学びました。たしかに当時、被災された方々に「共感」しました。決まっていた内的先を辞退し、縁もゆかりもない東北のまちに復興支援というかたちで行きました。そこでの体験は、いまの私の価値観の大きな部分を形成し、間違いなく、「人生が変わった体験」だったと言えます。あの日亡くなられた方々に対して、いまの自分の生き方が胸を張れるのか。自信をもって「はい」とは答えられませんが、少なくともそのことを問い続けて生きていく。それがいまこの時代に生きる私たちの役割なのかもしれないと感じさせていただきました。いつもありがとうございます。
自分は被災した県に実家がありますが、こないだニュースを見ていたら漁師の人が「もう忘れたいんだよ…」と言っていたのが印象的でした。
このような災禍を忘れてはいけない、後世に伝えなくてはいけないとは思いますが、一方で当事者の忘れたいという気持ちも尊重しなくてはいけないのかなと思います。
起きた出来事に対し偶然と捉えるか、深い意味があると捉えるか、はどちらでも捉えることができるしそれに善悪とかはないかと思います。
ただ、何か(深い)意味があると捉えられるようになれば、その後の人生がよき(幸せな)ものになるような気がします。
時間はかかると思います。
ありがとうございます。